「自分は不幸だと感じる原因」を考えたことはありますか。
結論から言えば、①心身の疲れ ②理不尽な出来事 ③思考・解釈です。そして現代ならではの対策を最後に一つだけ挙げてみました。
心身の疲れ
心や体が疲れているときに起こりやすいと考えられます。心は「思考・解釈」にもつながります。
わかりやすく考えると、睡眠不足が該当します。適度な睡眠や休息が取れていない時には、生理的欲求が満たされていないので、ホルモンバランスが乱れるなどの悪影響が蓄積していきます。まとめて眠れば解決するわけではないので、日々適切な睡眠をとるようにすることが大切です。
理不尽な出来事
自分が納得いかない事や、予定外の事が起こると「不幸」と感じる前に「怒り」が生まれるのではないでしょうか。脳は、慣れた現象が続くことを心地よい(ストレスが少ない)と感じています。ですので、基本的にコントロール不能な事が起こると、理性を司る前頭葉の機能が低下してしまいます。理性で行動するよりも、本能的に動こうとするともいえます。つまり、危険回避のためには、必要な反応ともいえます。よって理不尽な出来事は、当人にとっては、「嫌」だけでなく、「危険・不安」な事と言えます。
思考・解釈
これは、「理不尽」に対する受け止め方と考えられます。なぜなら、同じ事象が起きても、ダメージがある人と何も感じない人がいるからです。それは、立場において反応が違う事もありますし、本人の現時点での受け止める心の準備や土台が異なるといえます。子供の頃は許せなかったことも、大人になると許せるようになったりという体験で説明ができます。逆もあるかもしれません。
それに関連し、子供(特に幼少期)の経験が大きく影響する事もあります。いずれにしても、辛いと感じるような思考や解釈からは距離を置けるようになると、悩みから離れられるのではないでしょうか。
現代ならではの不幸
少し飛躍していると思われるかもしれません。本日、伝えたいのは、現代ならではの不幸を感じる原因についてです。
おぞましいまでの情報
便利な現代ならではの、検索ツールやSNSが「不幸な原因」を強めたり、長引かせている可能性があります。もちろん、有意義な情報や他者と繋がる楽しいツールであることは間違いありません。しかし、便利な反面、処理しきれない情報を見てしまう事で、別の負の感情を生み出してしまう事があるのです。
比較してしまう心
他者との比較により、勇気づけられたり、良いきっかけになるならば良いのですが、受け止める人の感情や状態によっては、「比較疲れ」を招いてしまいます。自分の個性を認めるべき自分が、他者ばかり評価したら自分は置いてけぼりになります。「不幸に浸りたい日、泣きたい日」もあるかもしれませんが、負のループに入り続ける事だけは避けましょう。
別の視点の提案
最後に、オリジナルの発想を提案します。強制するものではありません。そういう手段もあるのか~と思って頂ければ充分です。
「比較」に使った対象の裏舞台を想像しましょう。例えば、すごく憧れるような人がいたとしたら、その人もその魅力を表現するために、裏でメイクや表情の練習、歌やダンスの練習、動画の編集を頑張っているかもしれません。しかも、実はストレスを貯めているかもしれません。あるいは、自分の努力の成果で勇気づけたいと純粋に願っているだけかもしれません。ただの自己満足かも知れません。etc
その「裏舞台」を感じてみると勉強になったり、刺激になるかもしれません。または自分が影響されてまで苦しむような意図は何も無いかもしれません。現代に生きる私たちが、インターネットやSNSを完全に遮断する事は、難しい時もあります。そんな時は、一例ですが、上記のように視点を変えて物事を見てみる事が「不幸感」から脱出する術になるかもしれません。
もし、何も想像ができないならば、今は①「心身」が疲れているかもしれません。②出来事に対し、強い恐怖や不安が伴っているのかもしれません。③何らかの解釈に結論付けているかもしれません。もう一度、不幸の原因を見つめなおしてみませんか。